※初出:どくとるマンボウ在宅記(へるす出版『在宅新療0-100』第1巻第7号 2016年7月)
在宅診療は、一日のほとんどを外で過ごします。 これまでの病院や診療所の建物内で生活していた環境から、外回りの営業さんやタクシー運転手のかたと同様の屋外中心の生活スタイルに変わりました。 一番の気づきは、季節感を肌で感じることができるようになったことです。
数十年前まだサラリーマンの頃には、毎年4月は決算で朝から晩まで休日も働いていました。気がついたら何年も桜を見ることがなかった生活とは大きな違いです。 今回は直接診療に結びつかない話ですが、在宅診療中の出来事を3つのコラムにまとめました。
1.交通事故直後に遭遇
たんぽぽクリニックに来て4ヶ月がたった頃のことです。午前の訪問診療に向かう途中で女性が道路の脇に倒れ、人が集まっているところに遭遇しました。 交通事故が起こったとすぐ判断できましたので、車を側道に止め、看護師とともに現場へ駆けつけました。 右折しようとしたら歩行者をはねてしまったと若い女性ドライバーが呆然と片隅に立っていました。はねられた人は高齢の女性です。
安全確保の上、頸椎保護しながら呼びかけましたが返答はありません。意識レベルJCS 300台と判断しました。呼吸状態にはとくに問題はありませんでした。すでに119番通報は済んでいたため、高エネルギー外傷を疑い頸椎保護しながら救急車の到着を待つこととしました。その間に看護師にバイタルを計ってもらったところ血圧160台、SpO2 98%でした。眼球変異なく、時折両手を動かすことがあり明らかな麻痺は確認できませんでした。意識レベルが悪いため頭蓋内の損傷を疑いながら、呼吸状態を観察しながら救急車の到着を待ちました。5分後警察が先に到着します。状況を口頭で説明しました。7分後救急車が到着。意識レベルはJCS3桁で高エネルギー外傷の疑いありと伝え、救急隊員に引き継ぎました。救急車搬入前に嘔吐があったように伺われました。
救急車到着までの7,8分がとても長く感じました。路上で頸椎保護の姿勢をとっていたため、その後両腕がしびれて聴診器も持てず午前中は使い物になりませんでした。幸い他のDrがルートを変更し私の診療分をカバーしていただきました。 その後の経過が気になっていましたが、翌日の朝刊に交通事故死亡記事がありました。警察の発表では被害者は82歳女性、ドライバーは29歳の女性だったようです。青ざめた若い女性のことが思い出されました。
訪問診療では車を日常的に使用します。自分自身が事故を起こさない巻き込まれないことは常に気をつけておきたいところです。そして今回のように事故直後の場面に遭遇することもあります。 家庭医後期研修中にJPTECプロバイダーコースを受講したことがあります。当時は病院勤務だったため救急隊員がどの様にして患者を病院は搬送してくるのかという視点で勉強しました。在宅診療を行ってゆく上では、初期動作として改めて勉強しなおす必要性を感じました。
2.車中での過ごし方
訪問診療では車で患者宅を訪問・移動します。実際の診療時間よりも移動時間のほうが長くなることがよくあります。これば都会と田舎では差が出るところかも知れません。私たちの診療圏は半径16km以下ではありますが、松山市の郊外や隣接市町村までが対象です。片道40分以上かかるところもあります。以前京都市内で訪問診療を行っていたときは、半径2km圏内が大半で、中には徒歩で回るコースもありました。それを思うと大きな違いです。
そんな訳で車中の時間をどう過ごすかは大きな問題です。たんぽぽクリニックでは訪問診療は基本的に医師と看護師の2名体制です。 これから伺う患者の情報共有や、訪問後は家族や他職種に電話による情報提供を行うなど診療に直接かかわることも移動中に行われます。
一方で、おばちゃんトークに花を咲かせたり、人生相談など雑談で過ごすこともまた多いようです。中にはお気に入りの曲をiPodに入れてずっと流したり、曲に合わせて歌ったりする先生もいらっしゃるようです。 私も雑談をすることが多いのですが、最近は移動中にカルテ入力を行っています。在宅クリニックによってはノートパソコン持参で診療中にカルテ記載し、その場で処方箋を印刷するところもあります。当院では診療中は極力目を見て話すことに主眼をおいているため、クリニックに戻りカルテ入力するスタイルをとっています。しかし戻ってからの事務作業が集中するため、なんとか時間を有効活用できないかと考えていました。
そこで思いついたのが車中でのカルテ入力です。しかし運転は看護師さんに行ってもらうとしても、キーボード入力は流石に困難でネックとなっていました。iOSには音声入力が標準装備されています。医学用語の辞書は搭載されていないためどうしても日常会話レベルの内容にはなりますが、普通の速度で話しても十分使えるレベルになっています。そこで音声入力によるカルテ入力を始めてみました。まだまだ改善の余地はありますが今後使えるツールではと思っています。
そしてもう一つ、車中で行っているのは音楽鑑賞です。前出のお気に入りの曲を持ち込んで聞く方法もありますが、最近はAmazonプライム会員に無料で提供されているAmazon Musicを使っています。同行の看護師さん好みにあわせて今日は何を聞くか決めるのですが、懐メロから洋楽、クラッシックまで意外な選曲を聴くことができて楽しいドライブとなっています。
3.お茶タイムはいかが?
訪問診療のスケジュールはタイトなことが多いため、できるだけ滞在時間を少なくして必要最低限で回りたいというのが本音です。しかし中には毎回必ずお菓子とコーヒーを出していただけるところが何軒かあって、今までの関係上お断りしにくい状況になっています。
そのうちの一人の高齢女性の話です。働いている娘さんと同居で昼間は一人で過ごされています。腎不全、心不全も進行しており、家の中の移動でも呼吸が荒くなるような方です。診察のあと茶菓子とコーヒーを用意していただき、ひとしきりお話しするのが常です。話は双子のお孫さんのことが多く、お二人とも優秀で中学、高校、大学、就職している会社や一方が嫁いだ嫁ぎ先の話です。何度となく伺った話ですが楽しそうにお話しされるので相づちを打ちながら聞いています。彼女にとっては10分程度の時間が診察以上に大切なものだったのかも知れません。
今年に入り急に容態が悪化し入院となりました。腎機能が悪化し人工透析を勧められましたが、ご家族は家での看取りをご希望されて退院となりました。残された数日毎日訪問診療に伺いましたが、もうお茶を出したりお話ししたりできる体力は残っていませんでした。その後静かに息を引き取られました。 もうあのお茶タイムはないのかと思うと寂しい気持ちになります。
以上3つのコラムはいかがでしたか? どれも病院では経験出来ないことばかりです。 訪問診療を行っていると大変なこともあります。どんな悪天候でも伺わなければなりませんし、夜中でも必要となれば往診します。訪問時間が遅いとお叱りを受けたり、伺った先が予定を間違えて留守だったりもします。訪問している施設職員の対応が悪く怒りがこみ上げてくることもたびたびあります。
そういったこと全てが在宅診療だと思っています。 日常にまつわる今回のコラムを通じて在宅医療が少しでも身近に感じていただけたら幸いです。